2004年 04月 28日
blogについて、あるいはパソ通の思い出 |
かつて、「パソコン通信」というものがあった。
僕はNiftyがサービスを開始した頃からの会員なので、その「パソコン通信」が、1200bpsから9600bpsへ、更には14.4kbpsから56kbpsへと速度を上げるのを、そしていわゆる「掲示板」的な存在が、どんどん巨大化するのを、ほぼリアルタイムで経験できた。
Niftyには「フォーラム」と呼ばれる、テーマ別の掲示板群みたいなものがある。僕もいくつかのフォーラムに入ってみたが、その中で、特に居心地のいいところに落ち着くこととなった。
そこは読書系のフォーラムだったので、お互いにお気に入りの本の紹介をしたり、同じ本の感想や批評を交わしたり、平行して、本に関係のない、様々な雑談をしたり、実に楽しい空間だった。
オフ会というものにも、参加してみた。文章でしか知らない相手に、リアルで会って話すわけだが、どの方も、不思議なくらいフォーラムで受ける印象と一致していて、やはり文章は人柄を映すのだなぁ、と感心したものだ。(それ以来、文章から受ける印象がいい人には、すぐ好感を持ってしまう)
楽しかったフォーラムだったが、時折、論争やらトラブルやらが起こったりもした。
一度、僕自身が一対一の論争を起こしてしまったことがあった。お互いに厳しい言葉のやりとりをしたのだが、その過程で僕はかなり傷ついた。文章だけでの議論は、どうしても相手の「言葉尻」を捉えたものになってしまうということ。そしていつかは、相手の人格攻撃へと発展してしまうということ。悲しい思いをしながら、僕が学んだのは、そういうことだった。
それでも、そんなトラブル以外では、ある意見にコメントしたりされたり、というやりとりはやっぱり面白く、随分と長くフォーラムに居座っていたものである。
そんな楽しいフォーラムだったが、ある時、ふっとそこから抜けてしまった。直接的な理由はなかったのだが、なんとなく、フォーラムの流れに着いていけない自分を感じてしまったからだと、今では思っている。
さて、時は流れ、blogなるものが登場した時、何か非常に惹きつけられるものを、僕は感じた。
「もしかしたらblogって、パソ通のフォーラムを、もっと高次元で再構築したものなんじゃないか。テーマは自由、つながる相手は、全blog」・・・そんなふうに思えたのだ。
現在までのところ、僕の抱いたこのイメージは、(自分にとっては)間違っていないと感じている。
書きたいことを書く。それを読んで、コメントしてくれる人がいる。あるいは、トラックバックという形で、その人なりの意見やエピソードを披瀝してくれる人もいる。そこには、間違いなく「自分の話を聞いてもらえる」という喜びがある。
Acknowledgment・・・承認、という欲求に対する満足感が、blogでは与えられるのだと、僕は思っている。
だから僕は、そういう喜びを与えてくれるすべての人に感謝したい。コメント下さる方だけではもちろんなく、僕のこのblogを読んでくださる、全ての方々に。
******
長くて訳の分からない文章にお付き合い下さって、ありがとうございました。実は、この記事がちょうど100個目です(少なっ)。一日一投稿を目標にしてきたので、なんとかそれはクリアできたようです。
何の役にも立たない記事の数々ですが、ほんのちょっとでも共感してもらえたり、下らない内容に苦笑してもらえたら、それで僕は幸せです。
改めて、これからもよろしく願いします。
僕はNiftyがサービスを開始した頃からの会員なので、その「パソコン通信」が、1200bpsから9600bpsへ、更には14.4kbpsから56kbpsへと速度を上げるのを、そしていわゆる「掲示板」的な存在が、どんどん巨大化するのを、ほぼリアルタイムで経験できた。
Niftyには「フォーラム」と呼ばれる、テーマ別の掲示板群みたいなものがある。僕もいくつかのフォーラムに入ってみたが、その中で、特に居心地のいいところに落ち着くこととなった。
そこは読書系のフォーラムだったので、お互いにお気に入りの本の紹介をしたり、同じ本の感想や批評を交わしたり、平行して、本に関係のない、様々な雑談をしたり、実に楽しい空間だった。
オフ会というものにも、参加してみた。文章でしか知らない相手に、リアルで会って話すわけだが、どの方も、不思議なくらいフォーラムで受ける印象と一致していて、やはり文章は人柄を映すのだなぁ、と感心したものだ。(それ以来、文章から受ける印象がいい人には、すぐ好感を持ってしまう)
楽しかったフォーラムだったが、時折、論争やらトラブルやらが起こったりもした。
一度、僕自身が一対一の論争を起こしてしまったことがあった。お互いに厳しい言葉のやりとりをしたのだが、その過程で僕はかなり傷ついた。文章だけでの議論は、どうしても相手の「言葉尻」を捉えたものになってしまうということ。そしていつかは、相手の人格攻撃へと発展してしまうということ。悲しい思いをしながら、僕が学んだのは、そういうことだった。
それでも、そんなトラブル以外では、ある意見にコメントしたりされたり、というやりとりはやっぱり面白く、随分と長くフォーラムに居座っていたものである。
そんな楽しいフォーラムだったが、ある時、ふっとそこから抜けてしまった。直接的な理由はなかったのだが、なんとなく、フォーラムの流れに着いていけない自分を感じてしまったからだと、今では思っている。
さて、時は流れ、blogなるものが登場した時、何か非常に惹きつけられるものを、僕は感じた。
「もしかしたらblogって、パソ通のフォーラムを、もっと高次元で再構築したものなんじゃないか。テーマは自由、つながる相手は、全blog」・・・そんなふうに思えたのだ。
現在までのところ、僕の抱いたこのイメージは、(自分にとっては)間違っていないと感じている。
書きたいことを書く。それを読んで、コメントしてくれる人がいる。あるいは、トラックバックという形で、その人なりの意見やエピソードを披瀝してくれる人もいる。そこには、間違いなく「自分の話を聞いてもらえる」という喜びがある。
Acknowledgment・・・承認、という欲求に対する満足感が、blogでは与えられるのだと、僕は思っている。
だから僕は、そういう喜びを与えてくれるすべての人に感謝したい。コメント下さる方だけではもちろんなく、僕のこのblogを読んでくださる、全ての方々に。
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長くて訳の分からない文章にお付き合い下さって、ありがとうございました。実は、この記事がちょうど100個目です(少なっ)。一日一投稿を目標にしてきたので、なんとかそれはクリアできたようです。
何の役にも立たない記事の数々ですが、ほんのちょっとでも共感してもらえたり、下らない内容に苦笑してもらえたら、それで僕は幸せです。
改めて、これからもよろしく願いします。
by yuji4u
| 2004-04-28 21:11
| 生活と意見